学校に行きたくない 教室が怖い 

幼稚園時代から登園渋りがあった娘。小学校にあがった途端、怖いくらいスムーズに登校していた。これはきっと一時的に気が張っているのだなという私の予想は的中。GW前後から登校を渋るようになっていた。行きたくないって泣かれても私も仕事に行かなければならず、優しく寄り添うなど到底できなかった。休ませましょう、なんて言われても仕事も簡単には休めないし、頼れる実家は近くにない。毎日必死だった。どうかスムーズな朝でありますようにと願う毎日。学校行きたくないと泣かれた朝は、職場につく頃には私もぐったり。これから仕事なのに、娘が登校した、という時点で、まるで今日一日が無事に終わったかのような感覚。「何が嫌なの?」「学校は行かなきゃなの!」「わがまま言わない、みんな我慢して行ってるの!」などど、娘を追い詰めるばかりの母親だった。

小1の4月終わり頃、そこの角まで、その先のカーブまで、学校が見えるところまで、学校の門まで、学校の玄関まで、と娘に付き添い登校する距離が日に日に長くなっていった。学校の玄関に来ても私から離れようとしない娘。玄関で毎朝子供たちにハイタッチをしてくれていた校長先生が、「お母さんも中までいいですよ。」と言ってくれ、教室まで同行する日が続いた。最初は教室の外でバイバイしていたのだけど、ある日、「きょうしつ、こわい。」と娘は静かに泣き始め、教室に入ることができなかった。私は仕事をしていたので、学校に滞在できるのもほんの10分程度。何とかして娘から離れたい私はもう必死。そのうち教室で朝の提出物を済ませたら一旦保健室へ行く→担任の先生と教室へ行く、という流れがしばらく続いた。

「きょうしつ、こわい。」何がどう怖いのか本人も具体的には分かっておらず、漠然と“怖い”という具合だった。大人は何が嫌なのか具体的に聞き出そうとするけど、まだ幼い娘はそれを言葉にすることはできなかった。後々分かるのだけど、学年があがるにつれ、娘は自分の困り感や不安感を言葉にして具体的にするようになった。発達障害(自閉症スペクトラム障害)の診断がおりている娘だけど、当時はまだ診断名もついておらず、集団の中では一見普通に過ごしていたため、発達相談に行くようなこともなかった。先生の言ってることを一見理解しているように見えるけど、実は聞き漏らしが多く、周りを真似てやり過ごしていたり、聴覚過敏のため苦手な音が色々ある中で過ごしていたけど、娘は皆も同じ聞こえ方をしているものだと思い我慢していたり、板書が苦手だけと必死に何とかくらいついていたり、頑張ればできるけど、ものすごくエネルギーを注いで日々過ごしていたため、集団の中で知らず知らず疲弊していたのだ。親もまた、手のかかる子だとは思いながらも、発達障害の診断がおりようとは予想だにせず、甘やかしてはいけないと娘に厳しく接したりして、本当に悔やまれる。

この小学校1年生の時の娘が発した「きょうしつ、こわい。」と泣いた時の顔は今もはっきり覚えている。もう戻れはしないけど、この時が分岐点の一つだったのでは、と今でも思う。私はその後の行く道を間違ったと思っている。娘はその後もずっと学校という場所に苦しんでいたから。学校は行くものだという親の一方的な思いを子供におしつけ、苦しんでいる我が子の姿を見てもなお、登校にこだわってきた私。何で私は学校行かない選択を認められないのだろうと自問自答した義務教育期間だった。

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