行き渋り、五月雨登校、保健室登校、別室登校、不登校、とひと通りたどってきた娘。ASD(自閉症スペクトラム障害)診断あり。現在は希望した全日制高校に、バスを乗り継ぎ通えている。(夫さんが休みの日はちゃっかり送迎してもらう交渉をしている)
我が家は小学校時代、母子登校していた時期がある。一緒に登校。娘教室で宿題提出。母教室の外で待機。その後一緒に保健室へ。決めた時間になったらハイタッチして母そのまま出勤。娘は担任の先生と教室へ。いま思えばよくやっていたなと思うけど、母同行ででも登校できるのなら、いくらでもしますともって感じ。スムースな日もあれば、学校行きたくない我が子と朝からひと悶着の日も。ようやく母子ともに学校へたどりついたら、教室入りたくない我が子とまたプチバトル。ハイタッチの区切りも、気持ちが追い付かないのか、ギャンギャン泣き叫ぶ日もあった。しかし保健室の先生が、あとはお任せくださいと娘を抱っこしてくれたことも。小学生とは思えぬ幼さ。泣き叫ぶ我が子の声が校舎に響き渡る。もう出勤前にはぐったり。かたや二つ上の兄は毎日淡々と登校する。娘にかかりきりで、息子にはかわいそうなことをしたかもしれない。私的にはどちらも同じようにしてきたつもりだけど、圧倒的に娘に手を焼いてきた。
周囲の視線はそのうちに気にならなくなったのだが、たまに会う親戚の言葉は容赦ない。久々に会ったお正月。ひょんな話から娘の母子登校の話になったのだが、「いやいやありえない、だめでしょ。」の言葉。甘やかし、子供がダメになる、そんな感じだったと思う。「大変だね、頑張ってるね。」が欲しかったんだねきっと私。私を、私の対応を、娘を、娘の精いっぱいを否定された気持ちになった。くやしくてたまらなかった。もう反論する気にもならず、帰ってから泣いたよね。いまのこの子に必要な対応をしているだけなんだ。私は常に、いまのこの子に必要な対応を考えて子育てしてきたつもり。特性があるとか関係なく、定型発達の息子にも同じように、いまのこの子、を大事にしてきた。もちろん、それがベストなのかは分からない。時に専門家にも相談する。表面だけ聞いて、一部だけ見て決めつけないで欲しい。私もまずは人の話を聞くこと、誰をも頭ごなしに否定しないことを意識する大きなきっかけにはなった。
聞き入れるべきは聞き入れ、理不尽なことは聞き流す。私も年を重ねるたびできるようになってきた気がする。私に共感してくださる人がいたとしたら、たぶんあなたはとてもまじめで優しい人だから、何事も100パーセントで受け止めて苦しんで、明かりを見出して、を繰り返していると思う。暗闇だと思う今であっても、必ず前に進んでいるから大丈夫だと言いたい。
子供の不登校がきっかけで初めて知る自分の感情、初めて見る世界。人生を豊かにしてくれる経験のひとつになっているはずだと信じたい。
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