ありのままを受け入れる 我が子も自分も

どんなことがあってもこの子を守る。生まれてきてよかったって思って欲しい。

初めて我が子を抱いたとき、心からそう思ったことを鮮明に覚えている。生まれるまでも生まれてからも、片時も忘れることない我が子のこと。進学のため家を出た、法律上は成人の18歳の上の子のことだって、一日たりとも忘れない。一緒に生活している下の娘のことももちろん。

元気であれば良い、勉強も運動もできなくていいし、見た目なんてどんな姿でもかわいい、本気でそう思った出産直後。そして、目を開けた、笑った、あくびした、お座りした、立った、歩いた、そんなほんの小さな日々の成長に喜びを感じていた。それなのに我が子が成長するにつれ、あれも出来て欲しい、これも出来て欲しい、と欲が出てくるようになり、よその“できる子”“優秀な子”を見ては我が子と比べ、うらやましく思ってしまっていた。なんて欲深くて器の小さい私なんだろう。子供を通して色んな思いや経験を積み重ねてもなお、色んな出来事に直面するたびに湧いてくるその感情に、我が子のありのままを受け入れられていないの自分の未熟さに落ち込む。こと、学校に行けないことに対しては特に抵抗があった。学校に行けている娘は好き、そうでない娘は受け入れられない。おかしな話だ。どんな状況でもかわいい我が子には違いないのに。教室に入れた、入れなかったと一喜一憂していた小学校時代の一時期。そのうち、教室に入れた娘に、「すごいね!えらいね!」と声かけて笑顔になる自分に嫌気がさしてきた。教室に入れる娘はすごくて、入れない娘はすごくないのかって、ものすごい葛藤が生まれてきた。本当に色々な思いが駆け巡り、自分に向き合い続けてきたこの17年。登校渋りや不登校の経験なくして私の子育てはきっと語れないのだ。

ありのまま。ありのままを受け入れ認める。私にはとてもハードルが高いけど、ありのままを受け入れる瞬間の積み重ねが大事なのかもと思うこの頃。ありのままの我が子を受け止めれた瞬間、ありのままの自分を認めた瞬間、そのひとつひとつを噛み締め、そうできた自分をほめることを意識している。

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