不登校は親の責任だと?ほとんどの場合はそうではない

「不登校のなるのは親の責任が大半だ」「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」

学校に行きたくても行けない子供やその保護者を深く傷つけた、当事者にとっては記憶に新しい、とある首長のとんでも発言である。当然批判や講義が相次いだが、同時にこの発言に共感する声や同調する各地方の議員さんや、フリースクール支援や不登校支援に関して迷いがあると思いを吐露する各市長たちの一部の声も報道されていた。

この発言当時我が家の娘は中学3年生。まさにフリースクールに通っていた時期であったからかすぐに反応し、まっさきに私は怒りがこみあげてきた。怒り、悲しみ、呆れ、色んな感情がかけめぐった。フリースクールに入校するに至るまで、親子でどれほど苦しんできたか、周囲の冷たい視線や声にどれほど傷ついてきたか、それまでのスムーズでない登校を経験してきた小中学校時代のあらゆる場面が思い出され、私にとっては大きな衝撃を受ける出来事となった。

謝罪を求められたこの市長は「フリースクールの制度設計をしないまま自治体に支援を呼びかける文部科学省に対する批判だった。フリースクールが義務教育の枠組みを侵食する危惧がある」と説明していた。確かにフリースクールと言ってもタイプは様々。通う子も様々だし、子供の状況も様々。ひたすら好きなことをして過ごすスクール、自然体験や活動の多いスクール、勉強を教えてくれるスクール、調べてみれば本当に様々。義務教育という国で統一された学校教育システムに対し、自由度の高いフリースクール。そのひずみが問題であるように見えるのかもしれない。子供が成長する場所、自分は生きていていいんだと感じる場所、人との関わりで元気を取り戻す場所、そしてこれから先社会の中で生きていく力を育める場所であればどちらでも良いと思う。とか言いながら、正直な私の気持ちとしては、やはり、普通に学校行ってください、であるのだけど。現在の文部科学省は、学校復帰にこだわらず、社会的自立へ向かうことへと考えがシフトしているそうだ。さらに2017年施行の教育機会均等法においては、フリースクールを校外の学びの場のひとつと位置づけている。なのでこだわる必要はないのだけど、世間の理解と支援制度はいまいちなのが現状。これほどまでに不登校が増えているのだから、既存の教育システムが限界なのだろうと思う。不登校児を対象とした、学びの多様化学校なるものが各地にできているけど、それで学習面の評価もするのなら、いっそすべての学校を学びの多様化学校にしたらいいのに。子供が選択できるのが理想かな。誰ひとり取りこぼさない教育を、とはよく聞くけど、現実は取りこぼしまくりなの。またそこのとこは詳しく書いておきたい。

学校に行きづらい理由がある(いじめや不適切な指導、支援の不足など)にも関わらず、無理して登校している子たちもまた、この発言には戸惑ったと思う。やっぱり我慢せて神経すり減らし、命をかけてまで登校することが正しいことだと聞こえたかもしれない。極論すぎるかもしれないけど。けれども登校することに関して、想像を絶するほどの苦痛を感じている子がいることは確かで、自分の人生を自分で終わらせてしまうほど追い詰められることもある。

学校に行きたくても行けない子、行かない選択をしている子、取り巻く実情は様々。ただひとつ言えることは、不登校はほとんどの場合は親の責任ではないということ。私も育て方が悪いから、甘やかしすぎたから、など自分をずっと責めてきた。けれどすごくすごく子供と向き合って、何度もぶつかって、その時の子に一番最適な判断をしてきたし、それを親の責任だなんて軽々しくいうのはやめてくれ。休ませることも、すごく勇気をもって判断している。

自分の子が不登校になっても同じことが言えるのか。誰しも登校できない状態になる可能性はある。だってほとんどの親御さんは、まさかうちの子が不登校になるなんてと思っているのだから。

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