学校という空間が嫌いな娘。集団が苦手な娘。小中学校と不登校を経験した現在高校1年生の娘。全日制高校に通い、無事に一年を終えようとしている。
娘が学校を行き渋っている時期、心無い言葉をかけられることも多く、たくさん嫌な思いもしたし、傷つくことも多かった。その反面助けてる人たちが常にいたことを今改めて振り返り、思い出している。母子登校をしていた小学校1年生のころ、担任の先生はベテランだったが、とある日、教室に入りたくないと泣く娘と、切り替えさせようと必死な私に大きなため息をついた。挙げ句、机を教室の後ろに持ってきて、「お母さん、〇〇さんの気が済むまでここにいてください。」と言い放った。私は仕事をしているので、すぐにでもでないといけない。断ると、「そんなことでは困ります。」と。私は絶句した。1年生の教室は保健室のすぐ近くにあるのだが、娘の様子を以前から気がけていたという養護の先生が、「私が保健室で預かります。」と申し出てくれた。担任は、一旦保健室へ行くこと認めてしまうと教室に戻れなくなると拒否したが、養護の先生は「お母さん大丈夫ですよ。」と言ってくれた。そして「学校へ来たのだから、あとは職員の仕事です、お任せください。」と。本当に神様みたいな先生もいるのだと救われた気持ちになった。以前より担任の言動には不信感が多く、評判も良くない先生だったので、この時助けてくれた養護の先生にはいまだに感謝している。以後娘は、一旦保健室でワンクッションおいたあと教室へ行き、あとは普通に皆と過ごすという毎日を送った。昼休みには保健室に行き、折り紙をさせてもらうこともあり、娘は養護の先生が安心の存在となり安定していた。その先生は二年後転勤されたが、年賀状のやり取りをさせていただいたり、交流が続いた。当時役員をしていた私は離任式で花束を用意する仕事があり、学校に行き先生に直接挨拶することができた。
「お母さん、上手に子育てしてますね。子供さん二人とも素直でいい子じゃないですか。大丈夫ですよ。」の先生の言葉。涙が止まらなくなった私。春になるとこの先生のことは特に強く思い出す。なぜだろう、この先生にかけてもらった言葉は一つひとつ良く心に残っている。
私たち親子を助けてくれたたくさんの人。あの人もこの人も、と顔が浮かんでくる。学校行きたくない娘だったからこそ出会えて関われた人たち。縁なのだなぁと思う。
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